Profile これまでのもうり栄子

プロフィール

1951年伊那市長谷(旧長谷村)に生まれる。

伊那弥生ケ丘高校から信州大学教育学部卒。

小学校教諭。

岡谷市議会議員(2期)。

県議会議員(3期)。

日本共産党県議団幹事長、県議会環境・産業・観光委員会委員長・社会衛生委員会委員長歴任。

同居家族は、弁護士の夫と義母。

中学時代の仲良し3人組

幼い頃

農家の3人兄妹の長女として生まれ、小学校4年生まで分校ですごしました。田んぼで作ったスケートリンクで下駄スケートをはいてすべり、チャンバラごっこが大好きな活発な女の子でした。

思春期

中学、高校では陸上部に所属。このころ培った体力がいまに役だっています。素晴らしい先生に出会えた事で「先生になりたい」と夢をふくらませました。

教師時代、八ヶ岳をバックに子どもたちと</span >

学生時代

母親が病弱だったため、奨学金をうけながら地元の信大教育学部へ進学。山荘でアルバイトし、三角おにぎりを毎朝200個も握った事でいまでも特技に。「きけわだつみの声」を読み衝撃を受け、日本共産党に入党しました。卒論は石川啄木。「一握の砂」に心酔しました。

教師時代

茅野市泉野小学校で4年間、教師として働きました。みんなで学校に泊まり込みながらの「星を見る会」、休日には銭湯で流しっこと不登校もイジメもない楽しい時代でした。「学級だより」は毎日発行し、子どもの様子がよくわかると保護者から歓迎されました。

岡谷市議の時、交通弱者対策でシルキー
循環バスが実現

岡谷市議(2期)・長野県議(3期目)

くらしの声を届けたいと、岡谷市議を2期つとめ、現在、県会議員3期目です。

市議の時は、交通弱者の足の確保のために市内循環バス「シルキー」を議会のたびごとに取り上げ5年がかりで実現。県議になって、乱暴な高校統廃合に議会の同意を必要とする「高校設置条例」改正案を提案し可決。世論と運動・共同の力が県政を動かすことを実感しました。

有権者の思いにこたえ、今度は国政へ

戦争で「誰の子どもも殺させない」ママの願い、医療や介護の不安を抱える高齢者の思い、希望ある働き方を求める若者の叫び、今を生きるものの責任として、この声をしっかりうけとめ、暴走政治に立ち向かって、みなさんとともに国政を変えます!

2006年6月、住民合意のない高校統廃合問題で岡谷南、岡谷東高関係者と県に陳情、条例改正案を可決し、合併を撤回させました。
2006年7月の豪雨災害で党国会議員団と現地調査し、県議としても県会で財政支援を求めました。現
2009年2月、福祉医療充実へ新日本婦人の会の子育てママたちの陳情を受ける

妻・栄子を語る

東奔西走の妻とは、「近くの他人」のようなおつきあいですが、5月連休の一日だけは、2人だけでテクテク。中山道を岡谷から馬籠まで10年近くかかったでしょうか。携帯三脚で「ハイ、ツーショット」。人も羨む?写真ができる次第。(正道・弁護士)

激動の今を生きるものとしてみなさんの思い全部背負って
新しい歴史をつくる

 

わくわくする思いで挑戦します

 民意を無視した安倍政権の暴走政治に対し、戦後かつてない新しい市民運動、国民運動がわき立っています。

 私は、「弱い立場の人にこそ政治の光を」を信条にして、岡谷市議会議員、県議会議員と地方政治に身を置いて18年になります。

 国による悪政のしわ寄せは、若者と高齢者に顕著に、深刻に広がっています。

 朝の2時から15時間も働かされ続け脳出血で倒れた30代の青年。高齢化が全国より10年早くすすむ長野県で「年金だけでは暮らしていけない。どうすればいいのか」と語る女性。

 私は、いま切実に思っています。

 若者を使い捨てにする一方で、内部留保を380兆円もため込んでいる大企業。その税金をさらにまけてやる政治。これを変えなければ日本の未来はないこと。

 苦労して国と地域を支えていただいた高齢者が切なくなるだけの政治と社会は変えなければならないということ。

 そして、安心の子育て、安心の老後を根底から壊してしまう戦争だけは絶対に繰り返してはならないということ。

「教え子を再び戦場には送らない」これは教師であった私の原点です。

 先の安保法制反対の国民的な運動の盛り上がり、そして参院選挙での野党統一候補の勝利は、新しい時代への希望の扉を開きました。

 「政治的立場の違いを超えて、みんなで力を合わせれば、政治は変えることができる」――これを確信に、くらしと平和の思いを全部背負って挑戦します。

 党派を超えたご支援を、よろしくお願いいたします。